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天王洲を一変させた人 - 寺田倉庫の中野善壽CEO

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4月11日木曜午後10時からテレビ東京系で放送される「カンブリア宮殿」では、【倉庫の概念変えた異色経営者】がテーマとなっています。

「倉庫」の概念、「天王洲」の概念を一変させた寺田倉庫の中野善壽CEOをクローズアップする企画です。

「ミニマリスト」や「プロ社長」と呼ばれている中野社長とは、どのような人物なのでしょうか。

野球少年だった

中野善壽氏(なかの・よしひさ)は1944年生まれの74歳で、千葉商科大学を卒業しています。

学生時代は野球少年で、千葉商科大学の野球部時代は海外遠征にも参加していたのです。

しかし、額にボールが直撃する大ケガが原因で、野球生活に終止符を打つことになってしまいました。

その時代について、中野氏はゲーテのインタビューでこのように回想しています。

「ずっと野球をやっていたんですが、緊張しないから試合に強かったんですよ。
小手先のことなんか考えない、とにかく思い切ってバットを振ることだけ考える。
子供の頃の話ですが、監督の指示に従わないから、ずっと補欠でした。
(中略)
まあ監督にやたら怒られたので、世の中が理不尽で、どうにもできないことがあるんだっていうことを学ぶ機会にはなったかな(笑)。」

百貨店からのスタート

中野氏は、千葉商科大学を卒業すると、伊勢丹百貨店に就職します。

しかし、5年後に退社し、バブル時代、当時の婦人服ファッションの先頭を走っていた「鈴屋」へ転職しました。

「鈴屋」ではバイヤーとしての手腕を発揮し、代表権を持つ専務にまで昇格します。

日本初のファッションビル「青山ベルコモンズ」を始めとして、様々な企画を成功させ、業界内外の他社との共同企画の指導的な役割も果たしました。

また、海外でも様々な企画を展開し、鈴屋を国際的なブランドになるまで事業を広げました。

しかし、「バブル崩壊」と共に、「財テク」に傾いていた鈴屋の収支が悪化し、1991年に中野氏は会社を去ることとなります。

台湾で経営手腕を再び発揮

中野善壽氏は鈴屋を離れると、台湾の大手財閥が率いるコングロマリット「力覇集団(Rebar Group)」のオーナーに経営能力が見込まれて、百貨店の運営が任されることになります。

実は、中野氏が海外で行った講演を力覇のオーナーが聞いて、彼のファッションブランド経営のノウハウを高く評価し、スカウトしたそうです。

さらに、2002年には別の財閥「遠東集団(Far East Group)」にも見込まれて、グループ傘下の百貨店の経営を任されました。

このように、台湾でも中野氏のプロフェショナルとしての経営能力が広く認められたのです。

寺田倉庫のCEOへ

寺田倉庫株式会社(Warehouse TERRADA、本社:東京都臨海部の天王洲アイル、創業:1950年10月)の創業者である前会長(現オーナー)寺田保信氏と中野善壽氏とは鈴屋時代から、芸術を中心とした話題で盛り上がる友人でした。

そして、30年以上の家族ぐるみの付き合いだそうです。

いつかは寺田倉庫の経営に直接携わって欲しいと思っていたオーナーでした。

時が来たと思い、オーナーは、それまでは顧問を務めていた寺田倉庫のトップにつくことを依頼し、2011年に中野氏は代表取締役社長に就任することになりました。

断捨離経営

中野氏は、私生活でも「ミニマリスト」と呼ばれているそうですが、経営手腕も同じ思想で発揮しているようです。

社長に就任してまず手を付けたのは、大規模なリストラで、1000人いた社員を、100人に削減しました。

また、売上も700億円あったのを、100億円まで激減させたのです。

その理由として、「売り上げは100億円くらいがちょうどいい。

これ以上、大きい会社なら、面白いことなんてできないぞ」と説明したそうです。

さらに、法人相手だったビジネスを、富裕層、そして一般消費者にも広げて行きました。

アートやワインの保管が出来る機能の付加で「プレミアム倉庫」に特化させ、倉庫業をファッショナブルなビジネスに変貌しました。

世界の富豪たちがコレクションする時価数十億円クラスのアートの数々や、ソムリエの厳重な管理のもと、フランス・ボルドーの5大シャトーをはじめ数百万円クラスの高級ワインの数々が寺田倉庫に保管されています。

また、ネット上で自分の預けたものを管理できる「minikura(ミニクラ)」(箱単位で荷物を預かるWEBサービス)という貸しトランクルーム事業も大評判となりました。

「倉庫街」のイメージを激変

寺田倉庫株式会社の本社があり、多くの倉庫が立ち並ぶ東京都臨海部の天王洲アイル(東京都品川区)の風景も中野社長が一変させました。

その倉庫エリアに、新設した散歩道のある運河に水上ラウンジを併設するレストランを整備しました。

また街中に美術作品をずらりと並べて、殺伐とした倉庫街を洒落たアートの空間へ変貌させました。

さらに、寺田倉庫本社内にイベントホール、音楽スタジオ、茶室などを開設し、同品川区の施設にもアートギャラリーを誘致しています。

「ミニマリスト」の理想は個人資産ゼロ

このように経営者としての成功を収めている中野氏の資産について興味を覚えますが、若い時から慈善事業と寄付に多くの収入を当てていて、裕福な生活を求めないそうです。

「27歳の時から、東南アジアの女性の就職支援や、子供たちの教育支援をしています。
生きる為に必要な分を除き、稼いだお金は全部寄付している。
だから稼ぎのわりにはお金ないんです(笑)。
(中略)
時計もクルマも家もありません。
27年ほど台湾に住んでいるんですが、借家で、家賃が月に一万二千円。
日本に来る時は、寺田倉庫が用意してくれた部屋に滞在します。
下手にモノを持つと子供たちが喧嘩するしね。
資産はプラスマイナス0円で死にたいなあと。」

このように「ゲーテ」のインタビューで語っています。

オシャレで観光客や若いカップルが殺到する天王洲アイルを見渡して、このような「ミニマリスト」が作りあげたエリアとは全く想像できませんね。

この意外な事実に驚かされます。

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