豆知識

中国の七夕は恋人の日?! 伝説と七夕の関係

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日本の七夕は新暦のカレンダーの7月7日に行われるか、旧暦の7月7日(新暦では8月中旬)に行われるのが一般的です。

これは伝えられた中国で旧暦の7月7日に行われていたことによります。そのため毎年、七夕の日は変わってきます。2019年は8月7日、2020年は8月25日が旧暦の7月7日にあたります。

そもそも七夕は中国伝来の行事で、現在の日本の七夕とは少し様子が異なっていました。
中国の七夕は乞巧節(きっこうせつ)とも言われ裁縫や刺繍が上達するように祈っていて後漢(25年~220年)後期には祝祭日として定着していました。
これに織姫と彦星の七夕伝説が重なったことで愛の物語を想う日となりました。

日本の七夕行事と七夕伝説。詳細はこちらから「七夕伝説のカササギって?彦星と織姫の関係」

日本では竹や笹に短冊や飾り物をして願い事をする行事として定着していますが、中国ではそのような風習がなかったので伝統の節句であるにも関わらず近年はすたれてしまっていました。

ところが西洋から入り込んだバレンタインデー行事によって七夕節は中国版バレンタインデーとして復活しています。中国では2月14日のバレンタインデー(情人節)と同じように七夕情人節があって七夕バレンタインデーと呼ばれています。
この日には男性からから女性にプレゼントが贈られています。

中国で大ヒットしたドラマ「微微一笑很傾城」(日本題:シンデレラはオンライン中)に現代の中国の七夕のエピソード(第27話)が出てきます。興味ある人は見てみてね。

中国でも食べ物はそうめん。その意味は?

日本では7月7日が『そうめんの日』だと知っていますか?全国乾麺共同組合連合会と云う団体が設定していて普及に努めているのです。
今でも七夕の日には、そうめんを食べるという地域もあります。

実は平安時代に宮中の七夕行事でそうめんの原型とされる索餅(さくべい)が供えられていたことから、日本でも7月7日に索餅を備えていました。その風習が一般に広がると、索餅を食べて無病息災を願い、時代とともに「そうめん」に変わりそれが現代でも風習として残っています。そのためこの日にそうめんを食べる「そうめんの日」になっています。

この索餅は中国から伝わったもので、中国の故事には”7月7日に索餅を供えると無病息災によい”と伝えられていました。
ちなみに索餅とは小麦粉と米粉を水で練ってから塩を加えて作られます。それを縄状にしたものでそうめんよりかなり太い麺です。

なぜ索餅なのかと言う理由も故事に記載されています。
『その昔、古代中国の皇帝の子供が7月7日になくなりました。この子供は成仏せずに一本足の鬼となって熱病をはやらせ人々を困られます。なんとか祟りを鎮めたい考えた人々は生前子供が大好きであった”索餅”を備えて祈ったところおさまった。』と言うものです。
それから7月7日には索餅を供えるようになったのです。

日本各地でも7月7日にそうめんが食べられますがこれには諸説あります。
ひとつは七夕が乞巧奠(きこうでん)と言う織物や裁縫の上達を願う祭りと融合して伝わってきていることに依ります。
つまり索餅を白い糸に見立てて奉納したのだと言うものです。

もうひとつは織姫と彦星の伝説でふたりを引き裂いた天の川に見立てたと言うものです。

中国の彦星と織姫の伝説

では中国の七夕物語を紹介します。

昔あるところに一頭の老牛と一緒に働きながら暮らしている貧乏な若者が住んでいました。既に両親も亡くなっていて飼っている牛をとても大切にしていたので周囲からは”牛郎”と呼ばれていました。

ある日、突然飼っていた老牛が人の言葉をつかって若者に話しかけてきたのです。
「いま7人の仙女が近くに水遊びに来ている。仙女の衣を7枚の内の一枚をどこかに隠してしまいなさい。その衣を探しにきた仙女があなたのつまりなります」
牛郎は老牛に言われた通りにすると、ひとりの仙女と結婚することができました。

この牛郎が結婚した仙女は織姫でした。ふたりはとても仲良く幸せな日々を暮らします。やがて子供も生まれました。

老牛がまた人の言葉をつかって牛郎に話しかけます。老牛は死んだ後の自分の皮をとっておいて、困ったときに使うように言うのでした。

ある日、天にいた西王母が将兵を地上に送り込んできて織姫を連れ去ってしまいます。
牛郎は我が子を抱きながら牛の皮に跨って織姫を追いかけます。
もう少しで追いつけると言う時に、西王母が自分のかんざしを抜いて天空を引き裂くと天の川が現れました。

この天の川によって二人の間も引き裂かれてしまったのです。
悲しむふたりを見た西王母は哀れに思い、一年に一度だけ7月7日に二人が逢うことを許したのでした。

中国の七夕についてのまとめ

七夕とそうめんと聞いて、知らなかった人も少なくないと思います。しかし平安時代から始まった歴史に裏付けされた行事です。

そうめんを食べる風習の始まりとされる索餅は素材こそ似ていますが、見た目は全く違っていて細い捻じりパンのようなものです。

もともとの中国の七夕伝説は日本のものとはかなり違っていて驚きます。
中国が下界に行ったままの織姫を取り戻すと云う話ですが、日本は下界に嫁に出したのに仕事をしなかったことで引き戻されたと云う話です。

両国の物語の違いにそれぞれの国の文化や考えが反映されているようで、興味深いですね。

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