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アディダスとのコラボが話題 – 82歳の奇才:田名網敬一

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4月28日(日)にTBSテレビで夜11:15放映予定の「情熱大陸(Vol.1050)」のタイトルは、【82歳の奇才が描くサイケでシュールな極彩色の世界。日本ポップアート界の巨匠に密着!】です。

“日本ポップアート界の巨匠””サイケデリックマスター”などの異名をとる、田名網敬一の創作の原点と、表現者としての覚悟に迫る内容となります。

アディダスとのコラボレーションが話題に

多才アーティストの田名網敬一さん(たなあみ・けいいち、1936年7月21日生 )と「アディダス オリジナルス(adidas originals)」とのコラボレーションによるウェアコレクション「adicolor by Tanaami」が今ファッション界の大きな話題になっています。

すでに、アディダス オリジナルスは、田名網さんとのコラボレーションプロジェクトを「adidas gallery」の一環として、渋谷のギャラリー ナンヅカ(NANZUKA)で個展「Tanaami × adidas Originals」を今年開催しました。

ウェアコレクションでは、アディダスブランドの最も象徴的なモデルのひとつである袖にスリーストライプスをあしらった「カルフォルニアTシャツ」や、4年振りに復活した「ファイヤーバードトラックスーツ」など全9アイテムをラインナップしたことも話題となっています。

戦争に翻弄された幼少期

田名網敬一さんは昭和11年、東京・京橋の服地問屋の長男として生まれますが、5年後に太平洋戦争が勃発し、子供の頃の思い出は戦争によって翻弄された生活です。

1945年、9歳の時に経験した東京大空襲の光景は、後に田名網さんが描く作品の重要なモチーフとなります。

この経験のことを次のように振り返っています。

「食べたい盛り、遊びたい盛りの幼少年期を、戦争という得体の知れない怪物に追い回されていた私の見る夢には、恐怖や不安、怒りや諦めなどが渦巻いていたに違いない。
そういえば空襲の夜、禿山の上から逃げ惑う群衆を眺めていたことがある。
だが、ふと私は思うことがある。
あれは現実に起こったことなのだろうか。
私の記憶では夢と現実がゴッチャになって、曖昧なまま記録されているのである。」(ウィキペディア引用)

大学時代に日宣美展で特選を受賞

田名網さんは子供のころから絵を描くのが好きで、中学生の頃に漫画家の原一司先生のアトリエに出入りし漫画の勉強をしていたそうです。

しかし、原先生が突然亡くなったこともあり、絵物語等に目を向けるようになり、本格的に絵画を勉強するために、武蔵野美術大学へ進学します。

学生時代からその実力が評価されて、在学2年生(1958年)の時にイラストレーション、デザインの権威団体の主催する展覧会(日宣美)で「特選」を受賞するほどの才能でした。

武蔵野美術大学を卒業後、広告代理店大手の博報堂に無試験で入社しますが、個人への仕事のオファーが多すぎて、1年足らずで退社することとなってしまいました。

独立してからは、1960年代はイラストレーターやグラフィックデザイナーとしての大活躍が始まりますが、ニューヨークでのアンディー・ウォーホルとの出会い等を経て、映像を含むあらゆるジャンルへ創作意欲が広がって行きました。

1975年には日本版『月刊PLAY BOY』の初代アートディレクターに就任します。
1987年にはフランスで初の個展を開催。
1991年には京都造形芸術大学教授に就任。
また、MoMAニューヨーク近代美術館やベルリン国立博物館が作品をコレクションに加えるなど、海外での評価も高いのは言うまでもありません。

次はスイスでの個展

「情熱大陸」の解説によりますと、「番組では今回、スイスでの個展に向けた新作の制作過程に密着。
“戦争の記憶”をテーマとしたコラージュ作品は、戦闘機と金魚など一見無関係なモチーフ同士が組み合わされながら日を追うごとに静かな狂気を帯びてゆき、やがて圧倒的なパワーを放ち出す。
“人生をかけなかったら面白いものは作れない”と語る孤高のアーティスト、田名網敬一の創作の原点と、表現者としての知られざる覚悟に迫る。」とあります。

今話題のアディダスとのコラボレーションの先には、スイスでの個展という、さらなる大きなイベントがあるのですね。

ますますユニークで刺激的な「Tanaami」作品を見せて頂きたいと思います。楽しみです。

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