ニュース

新一万円札のモデル・渋沢栄一はどれくらい【すごい】人物なのか?

スポンサー広告

一万円札の図柄のモデルになることになった渋沢栄一。

一万円といえば、今まで、聖徳太子、福沢諭吉と続いてきたので、彼らと同じくらいすごい人に違いない!

とうことで、渋沢栄一はどれくらい「すごい人」なのかをご紹介します。

 

生涯でかかわった会社は500以上「日本の資本主義の父」

渋沢栄一は明治から昭和初期にかけて活躍した実業家です。

元々商人の生まれではなく、1840年に現在の埼玉県深谷市の農家に生まれました。

実家の畑作などを手伝いながら勉学にも励んでいたようです。

当時の「尊王攘夷」思想の影響を受けた栄一は従兄たちは、高崎城を乗っ取る計画を立てますが、身内に見つかってしまい、諭されて断念。

計画を中止し、京都へ向かいます。

 

故郷を離れた彼が使えたのは一橋家。のちの15代将軍、徳川慶喜のところでした。

打倒しようとした幕府側に仕えるというのは興味深いですよね。

この一橋家の経済的な改善などに実力を発揮し、認められることになります。

 

その後、27歳の時に慶喜の実弟であり、後の水戸藩主、徳川昭武に付き添ってパリの万国博覧会を見学するなど、ヨーロッパ諸国を見聞します。

それが、当時の先進諸国の実情を理解し、日本の近代化に活かす基礎の一つともなったのでしょう。

帰国後は、明治維新となった政府に招かれて大蔵省の一員として、新しい国づくりにかかわりました。

 

これだけでもすごいのですが、渋沢栄一が「すごい」のはここからです。

1873年(明治6)には、彼の立案で第一国立銀行が創立されました。

「国立」とは名前がついていますが、民間の両替商からの出資と、一般からの応募によって資本金を集めた民間の経営で、その設立形態から「日本初の株式会社」と言われることもあります。

彼がすごいのは、日本最初の株式会社の設立にかかわったからだけではありません。

その第一国立銀行を拠点に、七十七国立銀行など多くの地方銀行設立も指導しました。

また、東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現:東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、麒麟麦酒(現:キリンホールディングス)、サッポロビール(現:サッポロホールディングス)、東洋紡績(現:東洋紡)、大日本製糖、明治製糖、澁澤倉庫など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれています。

今では日本を代表する会社ばかりですよね。

それらの会社の発起人として資金を集めたり、経営の指導を行ったりと、まさに日本の近代化を実業面から支えた人のひとりだと思います。

 

渋沢の思想は今でも注目されている

渋沢栄一は常々「道徳経済合一」と語っていました。

少年時代に学んだ「論語」にも影響を受けたもので、会社の目的が利益の追求であることはもちろんだが、その利益は独占するものではなく、国や人類全体を豊かにすることも目的にし、社会に還元する必要もあるという理念です。

リーマンショックあたりから、短期的な利益を追求するマーケット資本主義に対する反省が世界中で深まってきています。

これに合わせて、私利と公益の調和を目指し、道徳経済合一説を唱えた渋沢が、国内外で注目を集めているのです。

かれの思想は代表的な著作である『論語と算盤』でも読むことができます。

プチ情報

渋沢栄一がお札のモデルの候補になったのは、今回が初めてではありません。

初の株式会社の設立にかかわり、日本を代表する経済人である渋沢は、過去に何度もお札のモデルの候補になっています。

1963年発行の千円のモデルとしては、最終選考まで残りましたが、採用には至りませんでした。

スポンサー広告