「地域を守る、命の闘い~救急医・今 明秀」と題された「プロフェッショナル 仕事の流儀」が4月9日火曜午後10時30分から NHK総合テレビで放送されます。
ドクターヘリに乗り込む信念の医師を追う企画です。
\八戸関連TV番組のお知らせ/
八戸市民病院・今院長が登場。
雪が舞う冬の青森をドクターヘリで駆け巡る!1分1秒を争う極限の現場で患者の命と向き合い闘い続ける医師。
NHK
プロフェッショナル 仕事の流儀
「地域を守る、命の闘い~救命医・今明秀~」
4/9日(火)22:30〜https://t.co/a4yGBDO8gE— 八戸市 (@HachinoheCity) April 2, 2019
「本町おかみ殺人事件」のショック
今明秀(こん・あきひで)さんは1958年生れで、地元の青森県出身です。
1983年に自治医科大学(栃木県下野市薬師寺)を卒業後、故郷の青森県で県立中央病院で2年間の臨床研修を行いました。
その臨床研修中に、医師として進む方向を決めるきっかけとなる、ある事件が起きました。
母校で行われた今医師の「地域医療奨励賞」の受賞挨拶の中でその事件を振り返って話しています。
「研修医2年目の時に忘れられないできごと『本町おかみ殺人事件』を経験しました。
私が当直中の日曜日の朝、暴漢に刺された女性が救急車で運ばれてきました。
私は血気胸に対して胸腔ドレーンを入れましたが次に輸血なのか、手術なのか判断ができませんでした。
応援の外科医の到着時には、女性は昏睡状態になり、気管挿管をしました。
輸血の交差試験結果を待ち、さらに上級の外科医の到着を待ちます。
重症外傷の診療の手順と、緊急開胸手術適応を知りませんでした。
患者は、血圧低下とともに意識がなくなり、手術室の準備中に、目の前で亡くなってしまいました。
私は完全に自信を失いました。
目の前に運ばれてきた『助けて』と自分を呼ぶ外傷の患者を救うこともできないで、外科医を目指すなんて傲慢ではないのかと。」
この経験で、今明秀さんは医師としての自分について大いに悩んだそうです。
https://twitter.com/bontadayoon0811/status/1113057756674551810
へき地医療の限界と絶望
今明秀さんは青森県立中央病院での臨床研修を終えた後は、三戸郡倉石村診療所、へき地中核病院公立野辺地病院、1988年に六戸町立病院、1991年には大間病院外科副院長と、次々に勤務することになります。
その後、1993年より5年間はへき地中核病院公立野辺地病院外科副医長を勤めました。
今さんは、この間、本州最北端の地で手術、透析、病棟、外来、当直、往診、など、あらゆる医療行為を経験しました。
これを通して、へき地医療の限界と絶望を強く感じたそうです。
そして、ある決意をしました。
「がんになったとしても、遠くの大病院に行く時間的余裕はあるはずだ。
一方で、突然の事故や事件による外傷患者や、脳卒中・心筋梗塞などで倒れた患者は一刻を争うのに、救急医療体制が整っている地域はまだ少ない。
忘れかけていた研修医の時に大失敗した『本町おかみ殺人事件』の記憶がよみがえります。
助かるはずの命を助けられるよう、地域の救急医療体制を担う医師を目指すことに決めました。」
と、その時の気持ちを述べています。
ドクターヘリ体制の確立
救急医療を学ぶため、1997年、今医師は東京の日本医科大学高度救命救急センターの門をたたき、志を説明したところ、すぐに関連病院の川口市立医療センターの赴任が決まりました。
ここでは当時5人の救急医師がいて、救急車で運ばれる年間2,000人の重傷患者に対応することになりました。
この激務を経て、今明秀さんは後進の指導もまかされるほどの救急医療の専門家になりました。
しかし、故郷の救急医療の状況のことが気になって仕方がなかったようです。
「東京周辺の、後進の指導に毎日かかわっていた私ですが、故郷の青森県の救急の現状には心を痛めていました。
青森県には救急を指導する医師が相変わらずほとんどいないので、東京との格差は広がる一方でした。」と痛感したそうです。
そこで、現在に至る大事な決断をしました。
「悩んだり迷ったりしましたが、
2004年4月、私は八戸市立市民病院に救命救急センター所長として赴任しました。
医師不足の市民病院です。
救急医もたった一人でした。」
今明秀さんは、2004年に八戸市立市民病院救命救急センター所長に赴任したとき、この地に「一流の医療センターを作りたい」とたった一人でドクターヘリ体制の確立を目指し活動を始めました。
ついに2007年ドクターヘリ法案が成立し、2009年八戸にドクターヘリ体制を確立させることに成功しました。
コンビニの駐車場などに止めて緊急手術を行える八戸市立市民病院(青森県)の新型ドクターカーが、配備から半年を経ても活用されずにいる。衛生設備を巡って法的な懸念があるとして県が待ったをかけ、厚生労働省の判断を待つ状態が続いている。https://t.co/wJ4RNKy3lq
— NIKKEI BUSINESS DAILY(日経産業新聞) (@nikkei_bizdaily) May 9, 2016
その後ドクターカーも導入し、24時間体制の医療拠点として東日本大震災でもその本領を発揮するほどのものが出来上がりました。
今センター所長はターヘリ体制の確立に尽力すると共に、病院前現場出動からER、手術室、ICU、リハビリ、一般病棟まで受け持ちました。
その結果、軽症重症を問わず目の前の救急患者を救急医師が一貫して受け持つ新しい日本型救急システムを確立しました。
今明秀さんは2017年より八戸市立市民病院 院長兼臨床研修センター所長に就任し、ますます僻地の救命救急医療の発展のために尽力しています。
八戸市立市民病院に救難緊急自動車を寄付 地域の救難緊急支援に活用 https://t.co/xzNgMW6HBi
— 8nohekeizai (@8nohekeizai) May 10, 2017
へき地の特有なニーズを把握して対応する今医師のおかげで、過疎地の医療体制、特に救命救急医療の体制が格段と改善しました。
これからも、ますますのご活躍に期待したい名医ですね。