6月6日木曜午後10時からテレビ東京系で放送予定の「カンブリア宮殿」では、【「土佐料理」の名付け親!地方活性化も図る100年企業】がテーマとなっています。
番組では「祢保希(ねぼけ)」「司」「酔鯨亭」の店名を聞けば「鰹のたたき」を連想する客が多い高知の料理店チェーンを運営する株式会社 加寿翁コーポレーションの竹内 太一代表取締役社長と会社の100年の歴史が紹介されます。
今夜の #カンブリア宮殿 は #郷土料理 店を特集。 #東京駅 の地下街や、#銀座 界隈に集まる全国の美味を提供する店、お得な #ランチ 情報もご紹介!なかでも本格的な #土佐料理 がお手頃価格で味わえると評判の老舗「司」が今回の主役。#土佐 のいごっそうの地方活性に向けた心意気に迫る!#高知 pic.twitter.com/nM8e5EjQrh
— カンブリア宮殿 (@cambrian_palace) June 6, 2019
大学入学と同時に一家で上京
竹内太一社長(たけうち・たいち、1953年8月18日 高知市生まれ)は地元の高校を卒業後、一年の浪人生活の末、東京の明治大学に入学しました。
実は、このとき、高知に拠点を置き、大阪でも「土佐料理」を広めた当時の竹内和夫社長は、息子の上京に合わせるように、一家で東京に引っ越すと決断し、家族を驚かせたそうです。
太一氏は入学後、ヨット部での活動が中心の生活だったようですが、どうにか卒業し、祖父の代から続き、父、和夫氏が代表を務める株式会社 加寿翁コーポレーションに1976年入社することとなります。
太一さんが入社する頃にはすでに1972年に会社は東京・赤坂に買った土地に自社ビルを建て、土佐料理「祢保希」を出店していました。
「土佐料理」名店のルーツ
竹内太一社長の父和夫氏は、1952年に創業者の小松牛次氏の養子となり、太一氏が生まれた翌年には、高知で中華料理店を開業していました。
祖父の小松牛次氏はもともと高級料亭の板前で、大正6年に「新京橋ねぼけ」を創業していました。
その後、1964年に和夫氏は「土佐料理 司」と命名した店を高知市はりまや町に開業し、いずれは高知県でも名店として知られるようになります。
「土佐料理」発祥の店、司。創業から102年を迎える高知の老舗料理店で、東京にも5店舗を展開し、特にランチタイムはリーズナブルな値段でカツオを堪能することができます。今回のカンブリア宮殿は、そんな土佐料理の司、3代目の挑戦を追いました。どうぞ、ご覧ください! pic.twitter.com/6razOgePTD
— カンブリア宮殿 (@cambrian_palace) May 28, 2019
大阪万国博覧会で関西に進出
高知の「土佐料理 司」が順調に伸びていた1969年に、大阪では、日本で初めての地下街、水の流れる街「阪急三番街」がオープンすることとなりました。
竹内太一社長の記憶によりますと、「偶然、高知新聞に載ったテナント募集の広告を父が観たんです。
もちろん、錚々たるお店が応募するのだろうから、ダメモトという気持ちもあったと思います。
予想通り、一度は採用してもらえなかったんですが、たまたま空きが出て声をかけてくださったんです」。
空きが出たのは17坪の小さな店だったのですが、それでも二つ返事で快諾したそうです。
そこで、土佐料理の店が、大阪中の注目を浴びていた「阪急三番街」に誕生しました。
翌年の1970年には、日本で初めて開催される万国博覧会が大阪府吹田市で行われ、大阪のみならず、全国、全世界に土佐料理をアピールできました。
また、「土佐」の前宣伝のように、大視聴率を記録したNHK大河ドラマ「竜馬がゆく」が1968年に放送されていました。
「阪急三番街」、「万国博覧会」と「竜馬がゆく」の三重の効果で「土佐料理 司」は大阪で爆発的な人気を獲得しました。
このとき得た資金で東京赤坂への進出が可能となったそうです。
先週休止となった #カンブリア宮殿 は、今週いよいよ #土佐料理司 が登場!#郷土料理 のサイバイバル経営術に密着!#高知 から #東京、#大阪 にも進出した #土佐料理 発祥の店は、カツオのタタキだけでない美味しい土佐料理でリピーターを生んでいる。人気の #龍馬 鍋とは? pic.twitter.com/2ZADW5KKrG
— カンブリア宮殿 (@cambrian_palace) June 4, 2019
タイミング良く鰹の旬にテレビが取材に
最初は赤坂店の来客数は少なく、周りの環境に苦しんだ時期があったと竹内太一社長は振り返ります。
「料亭街だということもあったんでしょう。
1年ぐらいは鳴かず飛ばず。
私も学業のかたわらで半年間ぐらいは街角でマッチを配っていました。
それが、ある時マスコミが取り上げてくれたおかげでみなさんが認知してくださるようになったんです。
個室もあって、使い勝手もいい、料理も旨いじゃないか、と。
そういうことで、繁盛店になっていくんです。
鰹の時期にTVが入ったのも、大きな宣伝になりました」。
このように赤坂の土佐料理「祢保希」は成功し、のちの新宿、渋谷、銀座、丸の内など東京の他の拠点への出店の足がかりとなりました。
今週は創業100年以上の老舗3代目が登場!実は「#土佐料理」と名付けたのが高知の料亭がルーツの「#土佐料理司」。都内では「#祢保希(ねぼけ)」の看板で店を展開。大阪では割烹バルも開店し、ファンを広げている。バブル崩壊後35億円もの借金を抱えるなか社長となった3代目のサバイバル経営術に迫る! pic.twitter.com/DttHy8BORY
— カンブリア宮殿 (@cambrian_palace) May 28, 2019
バブル崩壊の後始末
株式会社加寿翁コーポレーションの最盛期は、1990年代初頭の「バブルの崩壊」とともに終わり、一旦は厳しい経営状況に陥りました。
その回復を任されたように、常務、専務を経て1996年に3代目社長に竹内太一氏が就任します。
その時の会社の方針転換について、次のように説明しています。
「バブル期には、会席料理やしゃぶしゃぶ、串揚げなどいろいろな業態の店を出しましたが、いずれも失敗してしまいます。
それで、改めて土佐料理という得意分野に注力することにしたんです」。
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— flaflablog (@flaflablog) May 4, 2019
その結果、「土佐」、つまり高知県産の、鰹やゆずといった食材にこだわり、仕入れや流通も見直した結果、新たな「土佐料理」のアピールができるようになりました。
具体的には、「鰹のたたき」の宅配事業や「ゆずぽん酢」の商品化で、店舗と商品の両面で一層「土佐料理」を提供できるように改革を進めました。
本日
土佐の酢みかん文化を楽しむ会
11月2日18-21時
@土佐料理 司 高知本店
参加費5000円(お酒代は別料金)
募集人員40名(定員になり次第締切)https://t.co/lVzDxS44PF pic.twitter.com/r7ihe37xSR— 高知芸文 (@kochigeibun) November 1, 2016
さらに、海外にも「土佐」の味を紹介する構想を練っています。
「アジアをはじめ、各国の日本食ブームをみていると興味は注がれますが、海外に店はまだ出しません。
代わりに『ゆずぽん酢』などの食品事業で海外進出を検討しています。
台湾への出荷が最初になりそうです。
パリで行われる食品の展示会にも出品します。
ゆずというフレーバーはまだ向こうにはない。
おもしろい展開ができそうです」と竹内社長は語っています。
土佐料理のことを考えていると、ますます鰹のたたきが食べたくなりました。ニンニクたっぷりで。