豆知識

独フォルクスワーゲンの象徴「ビートル」が2019年に生産終了

 

ドイツの自動車大手「フォルクスワーゲン」は9月13日、小型車「ビートル」の生産を2019年7月に終了すると発表しました。

第二次大戦前にドイツで開発された名車の系統が、途絶えることとなります。

あのカブト虫の生産が打ち切りへ

自動車大手、ドイツのフォルクスワーゲン(VW、 Volkswagen)は13日、同社を象徴する小型車「ビートル(Beetle、日本での愛称:「カブト虫」「ザ ビートル」)」の生産を2019年に終了すると発表しました。

同時に発表された2モデルが最終モデルとなることもアナウンスされました。

VWが電気自動車や家族向けの中型車の制作に集中するため、フォルクスワーゲン・グループ・オブ・アメリカ(Volkswagen Group of America)のハインリヒ・ウェブケン(Hinrich Woebcken)最高経営責任者(CEO)がビートルの生産の打ち切りを表明しました。

一方でウェブケン氏は、2017年にワーゲンバスの復活が発表されたことを引き合いに出し、「絶対ないとは言えない」と述べ、ビートルが復活する可能性をほのめかしたようです。

オシャレでお買い得「ファイナル・エディション」を発売

VWはビートルの最終モデルとしてクーペとコンバーチブルの2モデルを発表しました。

同社によると、これまでのモデルの流れをくむもので、価格は2万3045ドル(約258万円)~となる予定だそうです。

具体的には、ビートルの生産終了を記念して、米国では「ビートル・ファイナル・エディション」と呼ばれる最終特別仕様車が販売されることになりました。

特別仕様車には、ターボチャージャー付き2.0リッター直列4気筒に6速オートマチック・トランスミッションの組み合わせが装備されます。

ボディ・スタイルはハッチバックとコンバーチブル(カブリオレ)、トリム・レベルは「SE」と「SEL」から選べて、ボディ・カラーには「サファリ・ユニ」(ベージュ)と「ストーンウォッシュド・ブルー」という2つの特別色が用意されます。

両色とも2003年にメキシコで販売された初代ビートルのファイナル・エディションから着想を得たカラーだということです。

ベージュやブルーが好みでなければ、ホワイト、ブラック、グレーを選ぶことも可能だそうです。

SELのコンバーチブルでサファリ・ユニ以外のボディ・カラーには、特別なブラウンのソフトトップが組み合わされます。

また、通常のビートルでテールゲートに付けられていた「Turbo」のバッジは、「Beetle」に替えられる予定です。

ホイールはSEが17インチの15スポーク、SELには昔のホワイトウォール・タイヤとメッキのホイールキャップを模したデザインの18インチ・ホイールが装着されます。

ファイナル・エディション SEの輸送料込み価格は、ハッチバックが2万3,940ドル(約268万円)、コンバーチブルが2万8,190ドル(約316万円)と、従来の標準モデルのSEより975~745ドル(約11万~8万3,000円)も安い価格設定となっています。

SELというトリムは標準モデルには存在しないが、「ビートル・ファイナル・エディション」のハッチバックは2万6,890ドル(約301万円)、コンバーチブルは3万890ドル(約346万円)の価格で販売される予定です。

アドルフ・ヒトラーの要請で開発

「ビートル」の誕生を知るのには、ドイツのナチス政権の「フォルクスワーゲン(ドイツ語で国民車)」構想にまで遡ることとなります。

1930年代にアドルフ・ヒトラー総統の要請で、自動車設計者のフェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche)博士が設計しました。

このポルシェ博士は世界的に有名な自動車メーカー「ポルシェ(Porsche)」の創業者です。

ヒトラーは1937年、VW社の前身である国営企業フォルクスワーゲンベルク(Volkswagenwerk、「国民車製造企業」の意)をこの構想の実現のために創設しました。

こうして1938年に開発されたのは、「KdF(カーデーエフ)ワーゲン」と呼ばれた自動車でした。

流線型をした空気抵抗の少ないボディのデザインで作られました。

最高速は時速100キロ以上、7リットルのガソリンで100キロを走行できる低燃費など、当時の技術水準をはるかに超えるスペックの自動車でした。

自動車が高級品だった時代に、高性能な自動車を「一家に一台」買えるようにするのが当初の狙いでした。

しかし、その後、第二次世界大戦が勃発し、家庭用の自動車としての使用は叶わなかったのです。

開発された自家用車は、軍用車に改造された以外には、ノーマル版の「タイプ60」が870台ほど生産されたが、軍人やナチス幹部が利用することに留まったそうです。

戦後は世界の愛車に

 1945年の敗戦直後、ビートル第一号の名称が、「KdFワーゲン」から「フォルクスワーゲン・タイプ1」と改称されて、ようやく一般販売が開始されました。

また、連合国は、戦後のドイツ自動車産業の再生計画において、VWの生産を最優先したそうです。

しかし、タイプ1は1950年代に米国で販売を開始したが、売れ行きは低迷してしまいました。

VWの起源にナチスが絡んでいたことが販売不振の一因だったと推測されます。

アメリカでの売れ行きに大きく貢献したのは広告代理店のドイル・デーン・バーンバック(Doyle Dane Bernback)だと言われています。

彼は1959年にタイプ1を「ビートル」と名付け、小型であることは消費者にとって大きなメリットだと広く宣伝し、この車の人気に火を付けたという逸話があります。

その可愛らしい外観と「ビートル」の愛称で広く親しまれるようになりました。

さらに、1968年に意思を持つVW車を描いたディズニー(Disney)映画「ラブ・バッグ(The Love Bug)」が評判となり、ビートルの人気はどんどん伸び続けました。

結局は、アメリカをはじめとして、全世界に大量輸出され、貴重な外貨を獲得して西ドイツの戦後復興に大きく貢献しました。

一車種の生産記録を樹立

その後、1974年に西ドイツでのビートルの生産は中止されましたが、メキシコやブラジルでの生産は続いていました。

そこで、「フォルクスワーゲン・タイプ1」と同様なリアエンジンのオリジナル版ビートルの生産は、2003年にメキシコで終了しましたが、誕生から65年で2100万台超が製造されました。

これは一車種の生産記録としては、現在も世界記録です。

幸福をもたらすカブト虫

勿論、日本でもビートルは「カブト虫」や「ザ ビートル」で親しまれていて、大変な人気がありました。

1970年代後半には、カブト虫の人気が高く、ワーゲン占いが流行するまでだったそうです。

街を走るビートルを3台見たらその日は幸せになる

黄色のビートルを見れば3台探さなくとも、一気に幸福になる

と云う可愛い占いだったようですが、ビートルの生産中止で、人が幸せになれる確率がグンと減ってしまいますね。

残念。