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オリンピック金メダルと第一次バナバブームとの関係

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    バナナについて調べていますと、「バナナ大学」というものの存在を知りました。ちょっとふざけた名前だと思いましたが、実は立派な組織でした。

正式には「日本バナナ輸入組合広報室」が運営している情報提供の窓口でした。子供向けの情報は「バナナ大学付属小学校」から発信しています。

今はスーパーや八百屋でいつも山積みとなって、安価で売られているバナナですが、昔は、貴重品だったと聞きます。

そこで、バナナ大学のサイトで、日本におけるバナナの輸入販売の現代史を調べてみました。

戦後から輸入自由化まで:

昭和22-24年頃(1947-1949) 進駐軍用バナナが輸入される 進駐軍用バナナの横流し(納入検査不合格品)が、戦後の焼け跡で売買されるようになりました。

1ロット(1-5かご)あたり2万円前後という高値で取引されたもので、一般庶民には無縁の話でした。

昭和25年(1950) 7月  

バナナ輸入が正式に再開 – 台湾バナナ黄金時代 – 台湾からのバナナ輸入が再開されましたが、この頃の日本は外貨が不足していたため、バナナなど不要不急の物資は輸入数量が制限されていました。限られたバナナの輸入権利(外貨割当)を獲得しようと多数の業者が押し寄せたため、「ガラポン方式」と呼ばれた抽選や、バナナを輸入するかわりに同額の日本製品を輸出するという「リンク方式」、「入札方式」などさまざまな方法でバナナの割当が行われました。

この輸入制限措置のために、当時バナナはとても貴重な果物でした バナナの輸入自由化 戦後復興を果した日本は、自国の産業保護を理由に輸入制限をしていることができなくなり、昭和30年(1955)GATT加盟以降、その規約に基づき輸入自由化が進められました。

昭和38年(1963)4月 バナナ輸入自由化 IMF、その他の国際通貨経済機構の要求を受け、日本政府はバナナなどの輸入自由化を発表しました。

昭和40年(1965)6月 日本バナナ輸入組合発足 自由化が実施されると、台湾バナナの輸入をめぐり業者間競争が激しくなり、混乱が生じました。

業界の統一をはかるため、「日本バナナ輸入組合」が発足しました。

台湾からエクアドル、フィリピンバナナへ 昭和45年(1970) エクアドル産バナナの輸入量が1位になる 輸入自由化をきっかけに、南米のエクアドル産バナナの輸入量が1位になりました。

昭和48年(1973)  フィリピン産バナナの輸入量が1位になる フィリピンでは1960年代、自由化された日本市場向けのバナナを生産するため、大農園(プランテーション)が作られました。

昭和48年以来現在に至るまで、フィリピンからの輸入がトップを占めています。(http://www.banana.co.jp/index.htmlより)

 

なるほど、1963年にバナナの輸入が自由化され、手ごろな値段になったということですね。またタイミングよく、その翌年に1964年東京オリンピックの開催がありました。

オリンピックでアメリカ選手団が36個の金メダルを獲得するのを目の当たりにして、日本では第一次バナナブームが起きたと言われています。

アメリカ五輪チームは、バナナを何トンも選手団用に輸入していました。

そこで、彼らの活躍とバナナの摂取量が比例すると皆が納得したようです。

その後、何回も「バナナブーム」が起きました。

最近の「バナナ朝食ダイエット」が記憶に新しいですね。

次回はなにがきっかけでバナナブームが起きるのでしょうか?楽しみにして待つことにしましょう。

 

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