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シャルル・アズナブール死去(94) - 9月に来日コンサートを開いたばかりの「シャンソンの神様」が他界

 

シャンソン界最後の「巨人」と言われた国民的歌手、シャルル・アズナブールがフランス南部の別宅で死去しました。94歳でした。

シャンソンの「巨人」の死因は「自然死」

10月1日に南仏アルピーユ(Alpilles)の自宅で死亡しているのが見つかったフランスの伝説的シャンソン歌手、シャルル・アズナブール(Charles Aznavour)(94)は、浴槽で心不全と呼吸不全を起こして亡くなったことが、2日発表された検視結果で明らかになりました。

検察当局者は南仏ムリエス(Mouries)のアズナブールの自宅の近くで記者団に対し、アズナブール氏は1日昼ごろ「自身の寝室の隣にある浴室の浴槽で倒れた状態」で発見されたと明らかにしました。

検視の結果、死亡したのは「10月1日の朝」で、死因は「心肺不全による急性の浮腫」だとし、「犯罪の可能性はないと考えられるものの、死亡時の状況は正確にはわかっていない」と説明しました。

古くからの友人、仏俳優アラン・ドロン(Alain Delon)氏はインタビューに答えて、彼は「眠っている間に亡くなった」と述べた上で「私はあの男が大好きだった。(精神的に)ぼろぼろだ」と悼んでいました。

歌/作曲/作詞から演技まで – 多才なアーティストでした

アズナブールさんは1924年、アルメニア系移民の子としてパリに生まれました。

9歳の頃から芸能活動を始め、20代でエディット・ピアフ(Edith Piaf)に認められ、彼の本格的なキャリアが始まりました。

第2次世界大戦後、人気上昇中だった仏女性シャンソン歌手、エディット・ピアフの前座を務めるという幸運に恵まれました。

ピアフの米国訪問には彼女のマネジャー兼ソングライターとして同行し、その間自身の歌の練習にも励みました。

その後、ビブラートを効かせた独特のしゃがれ声で60年代に数々のヒット・ソングを生み、世界的スターとなりました。

「ラ・ボエーム」、「ラ・マンマ」「世界の果て」などのヒット曲で知られ、約1億8千万枚のレコード・CDを売り上げた実績があります。

その他、代表作には「希望に満ちて(Je M’voyais Deja)」、映画『ノッティングヒルの恋人(Notting Hill)』の主題歌にもなった「忘れじの面影(She)」など、多数あります。

俳優としても活躍し、1960年公開のフランソワ・トリュフォー(Francois Truffaut)監督の『ピアニストを撃て(Shoot the Piano Player)』では主役を演じて国際的な名声を得たのです。

その他にも、「アイドルを探せ」(1964年)、「ブリキの太鼓」(79年)などの60本以上の映画に出演したことも有名です。

シャンソンの神様と日本との縁

シャルル・アズナブールは70年代以降、何度も来日しています。

最近は9月、日本公演を終えて、フランスに帰国したばかりでした。

また、⽇本における⾳楽分野の発展、ならびに⾳楽・映画を通じた⽇本・フランス間の交流強化と友好親善に寄与したとして、これまでの功績が認められ2018 年春の叙勲・旭⽇⼩綬章を受章されました。

実は、9月好評だったシャルル・アズナヴールの最後の来日コンサートは、当初、94歳となる誕⽣⽇をまたいだ5月21日と23日に予定されていましたが、腕の骨折のため延期となってしまいました。

そこで「奇跡の来日公演」と呼ばれたコンサートは、9月17日に東京・NHKホール、同19日に大阪・NHK大阪ホールで行われることとなった事情がありました。

また、日本のアニメ界にも影響を及ぼしていました。

アニメ「機動戦士ガンダム」の登場人物のひとり、シャア・アズナブルの名前の由来になったともいわれています。

日本と様々なご縁があった「シャンソンの神様」のご冥福をお祈りいたします。

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